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2025年05月20日
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2015NAHAマラソン旅行記 ひめゆりの塔。

2015年12月30日
話は前後しますがNAHAマラソンの次の日、
最初に向かったのは「ひめゆりの塔」でした。
那覇市内のホテルからタクシーで40分くらい、2500円ほどだったと思います。


まず入り口の所で、お供え用の花束が1束200円で売られています。
買うかどうかは自由ですが、なかなか来れない場所なので購入することに。
すると売り子のおばあさんが何か言ってくれたのですが、方言が強すぎてよくわからない……
2、3回聞き返してようやく、「キャリーバッグをここに置いていっていいよ」
と言っているようだと理解。
ごめんねおばあ、悪気はなかったのよ……
ご好意に甘えてそうさせてもらいました。




白い大きな石碑は慰霊碑。
本当の「ひめゆりの塔」は、手前の小さく質素な石碑の方なんです。
白い石碑の前の地面にはぽっかりと大きな穴が開いていて、
そこがひめゆり学徒隊の中で最も多くの犠牲者を出した第三外科壕の跡地でした。
「外科壕」と言っても、洞窟にベッドを置いただけの劣悪な環境だったそうです。


そして奥にある「ひめゆり平和祈念資料館」へ。
しかし修学旅行の団体と一緒になってしまって、落ち着いて見ることができませんでした。
あまり広い館内ではないため、団体が入るとすぐに大混雑になってしまうのです。
うーん、ここはもっと静かに見たかったなー。


犠牲となった生徒・教員227人の遺影がならぶ第四資料室。
一人一人、生前の性格と死亡時の状況も書かれています。
爆弾の破片が直撃した、逃げる途中に銃撃を受けた、手榴弾による自決……
これだけたくさんの若い命が、過酷な状況で失われたという現実を突きつけてきます。


沖縄って、本当に悲しい歴史を背負った土地だと思うんですよ。
いや、背負わされたと言うべきなのでしょうか。
昔から様々な国の支配を受け、翻弄され続けてきた。
それは現在も続いているように思います。
何が沖縄にとって最善の策なのか私にはわかりませんが、
70年前というまだ遠くない過去に、こんな地獄のような光景が広がっていた事を知ると、
ニュースの見方も少し変わるのかなぁと。


決して楽しい場所ではないけれど、絶対一度は来るべきだと思いました。
……でも一歩外へ出ると、土産店が並ぶ普通の観光地になっていてギャップがすごいです。


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