忍者ブログ

[PR]

2025年09月13日
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

葬儀と仏教。

2010年08月16日
それにしても。
お通夜の際に聞く法話って、なんであんなにつまらないんでしょうかね。


今回の場合も、なんだか変な感じでした。
亡くなるには若すぎた、しかも突然の訃報だったんです。
だからみんなものすごく悲しんでいたのに、
なぜか現代社会に対する不満を訴えるような法話だったんですよね……


「人生の価値は長さではなく、深さで決まる」
その通りでしょう。
だから若くして亡くなっても、充実した人生だったなら嘆くことはないのですよ。
そういう事を言いたかったのはわかります。
でも、だからといって長生きしたお年寄りを叱りつける必要はないでしょう!


んーなぜなのだ。
仏教って本来「生きる道」を説いてるものなのに、
今では完全に「死者の弔い」のためのものになってしまっているから、
そこで何か無理が生じているんじゃないかと思うのです。


だって釈尊も親鸞上人も道元禅師も、
この世で苦しむ衆生を救うために教えを説いたのですから。
(密教についてはよくわかりませんすみません)


今回の葬儀は浄土真宗だったので、
「阿弥陀さまが間違いなくお浄土へ連れて行ってくれるよ、心配ないよ」
そういう事を言ってくれれば十分だったのに……
親鸞上人の教えをシンプルに伝えて欲しかったです。


それから、おそらくご住職の息子さんと思われる若い僧侶の方!
袈裟着てスニーカーはないべ(北海道弁)!
しかも靴紐が蛍光ピンクって!!絶対ありえない!
やる気あんのかよ!と思いましたね……

拍手[0回]

PR
Comment
今時のお坊さんって…
なんか色々そうですよね。スニーカーは見た事ないけど、法要の後の会食(?)の席で平気で酒飲んで刺身食ってるし…ススキノでは小料理屋にホステス同伴で来てたし…。
もう、ヤツらから税金思い切り取ってやれ!みたいな気分になりました。
うーむ。
世界の仏教国の中でも、日本ほど戒律が守られてない国はないそうです。
でもそれは今に始まったことではなくて、
昔からずっとそうなんですよね。
そうして仏教が堕落してしまった中から、
「このままじゃいけない!」と思った先人たちが新たな宗派を開いていったのです。
歴史に名を残す仏教者たちのほとんどがそういうケースなんじゃないかなぁ。
堕落が仏教を改革していったなんて皮肉なことですね。

最近も若い僧侶を中心に、
「葬式の時だけの仏教ではなく、生きるための仏教を広めよう!」
という新しい動きが出てきています。
それこそが本質だと思いますよ。

  Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字
Trackback
トラックバックURL: