[PR]
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
自分の命は誰のもの
そんな事を最近考えるようになりました。
きっかけは、2週間くらい前に見たNHKのドキュメンタリー番組。
ALSという難病の患者さんと、作家の柳田邦男さんの対話を追った番組でした。
ALSとは、次第に体が動かせなくなってゆく進行性の病。
しかし冒されていくのは運動神経だけなので、
本人には感覚も、記憶も、意志も、そのまま残っているのです。
ただそれを人に伝えることが大変難しくなるだけなのです。
ALS患者のAさんは、わずかに動く額の筋肉の動きで操作できる
特殊なパソコンを使って自分の意志を伝えています。
そして、自分は「尊厳死」を望んでいると言っています。
しかし現在の日本の法律ではたとえ本人の合意があったとしても、
人工呼吸器を外す行為は殺人罪になる可能性があるため、
実際にはなかなか行われないのが現状だそうです。
Aさんはそのことを「人権侵害だ」と訴えています。
死を望むのに死ねないのは不当だと。
柳田さんはAさんに、
「あなたにはいつまでも生きていてほしい」
と言います。
それに対しAさんは、
「今の私にとって、それは酷な話です」
と答えました。
続けてAさんは、
「私は自分の命は自分のものだと思っていますが、柳田さんはどう思いますか」
と問いました。
実は私もそう思ってる人間なので、その答えが気になったのですが、
柳田さんの答えは、
「あなたが死んだら悲しむ人がいる。
だから、あなたの命はあなただけのものではなくなっている」
ということでした。
よくある答えだと思います。
様々な宗教でも同じだと思います、「自分の命は神様からの借り物、自分のものではない」
とかね。
でも、これで「死にたい」と望む人を納得させることができるでしょうか。
「人が悲しんだってそんなの知るか、私は今の苦痛から逃れたいんだ」
ってはね返されるかもしれませんよね。
少なくとも私ならそう言いますね。
しかし、実際に死を望む人にどんな言葉をかけて引き止められるか?
そう考えるとやっぱり、「悲しむ人がいるからやめるべきだ」
としか言えないよなぁ、と思うのもまた事実。
苦しむ人に「その命は神様のもので……」なんて言っても届かないでしょう。
私も死を望む人に、
「私はあなたに死んでほしくない」とよくわからない引き止め方をしたことがあります。
こんなんじゃダメだよなー、もし立場が逆だったら私聞く耳持たないなー、
と思いながら。
でもそれは偽らざる気持ちだったし、それだけは伝えようと思ったんです。
……あ、「それなら私の住む街までお別れの挨拶に来い!」って言えばよかったな。
自分の命は誰のもの?
苦しんでいる自分のもの?
支えてくれている周囲の人たちのもの?
自分で自由に処分することはできないの?
そう考えるうちに、
命の所在を明らかにしたとして、それで人は救われるのかなぁ?
新たにそんな疑問が出てきたのでさらにまとまらなくなりました。