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2025年05月22日
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罪と罰。

2010年11月16日
「ほとんどの宗教で『許し』や『慈悲』を説くのは、
人は人を罰する痛みに耐えられないからだ」
と、何かの本で読んだ事があります。


それが本当だとするならば、
今回一般市民として初めて死刑判決を下した裁判員の方々は、
どれほどの大きな痛みを背負ったのでしょうか。


もし私の身内や大切な人が被害者であったなら、
私は何が何でも死刑になってくれと思うでしょう。
もしかしたら、死刑台のスイッチだってためらいなく押せちゃうかもしれません。


しかしそれは、「罰」ではなく「仕返し」「報復」でしょう。
怒りに任せて行うものであり、その時は私もまともな精神状態ではないと思います。
「人一人が死んでも構わない」と思うなんて、事情はどうあれまともじゃないですよ。


しかし裁判員は事件の被害者でも加害者でもないわけで、
双方の主張をよく聞いた上で冷静な判断をしなければならず、
それはかえって辛い事だったと思います。
怒りに任せて決める事ができたなら、ある意味楽だったのかもしれません。


今まで考えた事もなかったけど、「罰」と「報復」の違いって何だろう?
悪い事をした人に罰を与えるのは当然だと思ってたけど、
罰ってそもそも何のために与えるんだろう?
被害者の無念を晴らすためか、それとも被告人の更生のためなのか。
更生のためだとしたら、命を絶つ「死刑」は罰と呼べないのではないだろうか?


そんな事を考えてしまいました。

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